お寺の由来

歴史

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静岡から大阪へ

明治23年6月11日、瑞龍寺(鉄眼寺)の末寺の「豊運庵」として静岡県下駿河国志太郡島田町75番地より大阪市南区天王寺大道1丁目3955番地に移転してまいりました 住職は井上龍山、当時の本堂は桁行3間、梁行3間という小さなお寺で、信徒数も23人でした のちに現在の北田辺(当時の北田辺町)に移転しました

寺院名変更

昭和6年、当時の住職の井上泰宗により寺院名変更の請願書が出され、現在の寺院名の「豊運寺」になりました

法人目的

この法人は、釈迦牟尼仏を本尊とし、文殊普賢両菩薩をその脇仏とし、大本山萬福寺開山眞空大師の法統を継ぎ、その洪範に則り、黄檗宗の教義をひろめて広く信者及び衆庶を教化育成し、儀式行事を行い、その他この寺院の目的を達成するための業務を行うことを目的といたします